武士の時代
武士が権力を握った時代、平安時代の終り頃から日本各地の要所には山城が造られました。田川郡と京都郡の境であり、かつ英彦山の膝元に位置する赤村は、戦略的にも重要視されたようです。山に囲まれた赤村は、いくつかの山城があります。その代表的なものは岩石城と戸城山城があります。
戸城山城
としろやまじょう
戸城山城は、鎌倉幕府が倒れた後の南北朝時代、延元四(暦応二・1339)年に築造されました。肥後の雄菊池家の当主、南朝方の菊池武重が対立する北朝方の武将たちに対する備えとして城を築き、子の武光に守らせたと記録があります。戦国時代にはいくつもの争いがあり、中でも小夜姫の悲話に関係した山城であることで知られます。九州平定にのりだした豊臣秀吉は、天正十五(1587)年岩石城攻略の際、この戸城山に布陣したとか…そんな言い伝えもある戸城山城は、戦国時代の幕引きとともに廃城となりました。先に小夜姫の悲話についてふれましたが、小夜姫は当時の戸城山城主畠山義深の娘でした。城の攻防戦の際、危機を脱しようと城を抜け出しました。しかし、道中で家来の裏切りにあい女中たちとともに切り捨てられようとされ、はずかしめを嫌った姫は眼下の川に飛び込んでしまいました。その化身が蛇巻岩と言われ、今でも今川のほとりにひっそりと残っております。